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東京高等裁判所 昭和55年(く)122号 決定

被請求人 江尻校三

主文

本件即時抗告の申立を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、被請求人本人、その弁護人宇都宮健児および同佐藤光将の各作成名義の即時抗告申立書ならびに、弁護人佐藤光将、同宇都宮健児の連名作成名義の上申書(但し、被請求人本人作成名義の即時抗告申立書には、抗告の理由の記載はない。)記載のとおりであるから、これらを引用し、これらに対し、当裁判所は、次のとおり判断する。

一、佐藤弁護人の抗告趣意一のうち、自由裁量の範囲逸脱の主張、宇都宮弁護人の抗告趣意三、(三)および同四、両弁護人連名の抗告趣意一ないし四について

所論は、原決定は、本件執行猶予を取り消すべき理由が薄弱であるのに、これを取り消したもので、裁量権ないし自由裁量の範囲を逸脱し、不当である、というのである。

そこで、記録を調査して検討すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

(一)  被請求人は、昭和五二年六月一四日、横浜地方裁判所で、傷害罪により懲役一年、三年間保護観察付執行猶予に処せられ、翌一五日、管轄の福島保護観察所いわき駐在官事務所に出頭し、いわき市泉町下川字田宿一七三(両親の住所)を住所として届出するとともに、遵守事項を守るための指示事項((1)暴力団と手を切ること、交友健全化に努めること、(2)粗暴な性格を改め飲酒を慎しむこと、(3)毎月担当保護司を訪ね、近況を連絡すること)に従つて遵守事項を守る旨の誓約をし、同月二九日、右判決の確定により、被請求人に対する保護観察が開始された。

(二)  被請求人は、当初前記届出住所に住み、父の営む鉄骨組み業(鳶職)に従事し、保護司との面接を励行し、順調に推移したように見せながら、昭和五二年末には、横浜での暴力団時代の兄貴分畑瀬邦昭の誘いで、同人のしめ繩売りの手伝いをするために横浜に出て、同年一二月二八日、横浜市内で暴行事件を犯し(同五三年六月一六日横浜西簡易裁判所略式命令、罰金五万円、同年七月一四日確定)、同五三年七月二五日、同市内で速度超過の道路交通法違反を犯し(同五四年一月九日同裁判所略式命令、罰金八〇〇〇円、同年一月二四日確定)、同五二年一一月以後は、保護司との面接が減少し、同五三年八月一八日を最後に、いわき市での保護司との面接を絶ち、同年九月から無届けで横浜で月の半分を過すようになり、やがて無届けで横浜市内に事実上居住するに至つたが、保護観察所の調査で、同五四年三月に、被請求人の横浜の住所が確認され、同月二三日、横浜保護観察所に事件が移送された。

(三)  被請求人は、横浜では、前記畑瀬の営む東邦商事に関係して装飾品の訪問販売に従事したほか、暴力団稲川会山田一家杉浦組の預かりの身として、杉浦組本部事務所や同組道場に毎日のように出入りして、その当番をしたりしていたが、同五四年八月一日、同組員らと飲酒した際、他の客に因縁をつけ、おしぼりを投げつけたりし(この際、他の組員が相手に傷害を負わせたため、被請求人にも逮捕状が発布され、同年一一月一二日、逮捕されたが、不起訴となる)、交友健全化に努めず、暴力団員との接触を保つていた。被請求人は、さらに同年一〇月二六日、ウイスキーを飲んで自動車を運転し、横断歩道の歩行者の背後を進行し、歩行者らから非難の声を上げられるや、右歩行者二名に暴行を加えて傷害を負わせた(この事件により、被請求人は、同五五年四月二四日、横浜地方裁判所で、懲役四月に処せられたが、控訴し、右判決は未確定である。)。

以上の事実によれば、被請求人は、本件執行猶予の期間中更に罪を犯し、二回罰金に処せられているほか、遵守事項を守るための前記指示事項のすべてに違反するとともに、再三罪を犯すなど、執行猶予者保護観察法五条一号の「善行を保持すること」の遵守事項に違反していると認めざるをえないところ、執行猶予となつた本件が、被請求人において、横浜で暴力団に加盟していた際、粗暴な性格から他人に傷を負わせた事案であること、被請求人の少年時代からの粗暴犯の前歴、少年院送致等の処遇経過、本件保護観察の経過とその間における行状等に照らすと、被請求人には、自助の責任感が薄く、暴力志向がなお根強いと認めるのほかなく、妻との結婚その他被請求人に有利な諸事情を斟酌してみても、右遵守事項違反の情状は重いと認められる。

そうとすると、被請求人には、刑訴二六条の二、一号および二号に該当する事由があり、右諸情状からすれば、被請求人に対する本件刑の執行猶予言渡を取り消した原決定は、相当であつて、裁量権ないし自由裁量の範囲を逸脱したものとは認められない。

所論は、執行猶予期間が満了に近い時期に、それを取り消すことは許されないというけれども、執行猶予を取り消されることなくして、その期間の大部分を経過したということだけで、その取消が許されないとすべき理由はなく、右の点は他の諸情状とともに総合考慮すべき一事由であるに過ぎない。また、本件請求が時機に遅れたために許されないとまではいうことができない。

所論は、不充分な指導援護しかしない保護観察機関の申出に基いてなされた本件請求は、認めらるべきでない、という。しかし、被請求人は、前記のとおり、表面的には保護司との面接を励行していた時期においても、無断で横浜に出ては、暴力団関係者との交際を続け、粗暴犯を敢行し、同五二年一一月ころから保護司との接触を減少させ、同五三年九月から同五四年三月までの間、無届けで住居を移して保護司との接触を絶ち、暴力団関係者との連りを深めていたのである。保護観察は、本人に本来自助の責任があることを認めて、これを補導援護し、遵守事項を遵守するように指導監督するものであるから、被請求人の自助の責任の強さが最も重要であるのに、被請求人にはこれが不十分であつたため再三罪を犯すに至つたものと認めるのほかなく、担当機関に責任を転嫁することができない。論旨は理由がない。

二、佐藤弁護人の抗告趣意四、宇都宮弁護人の抗告趣意一について

所論は、原裁判所は、被請求人が弁護人を選任したい旨申し立てているのに、弁護人選任の余裕を与えず、弁護人の立会のないまま口頭弁論期日を開き、原決定をしたものであるが、右は被請求人の弁護人選任権を剥奪し、憲法三七条三項、刑訴法三四九条の二、三項に違反する、というのである。

しかし、記録によれば、原裁判所は、昭和五五年五月二七日、本件刑の執行猶予言渡取消請求を受けるや、被請求人に対し、同年六月四日付書面で、口頭弁論請求の可否、弁護人選任の可否の照会をし、同書面が同月六日午前八時三〇分に検察官作成名義の本件「刑の執行猶予の言渡し取消請求書」謄本とともに、被請求人の勾留されていた横浜拘置支所に送達されたこと、被請求人が、同日付意見書で、口頭弁論を請求すると同時に「弁護人(私選)を選任します」旨を回答し、そのころ、妻に宛て、別件被告事件の弁護人にその旨連絡するよう指示した手紙を出し、さらに口頭弁論期日の前日の同月一七日、面会に来た妻に明日が口頭弁論期日であることを伝えたこと、本件口頭弁論期日が、同月一二日に、同月一八日午後一時と指定され、被請求人に対する召喚状が同月一六日午前一一時に送達されたことが認められるから、被請求人において、本件手続での弁護人選任権を熟知し、その選任に十分な余裕を与えられながら、弁護人を選任しないまま本件口頭弁論期日に出頭したものといわざるをえない。そうとすると、原裁判所の手続に憲法三七条三項、刑訴法三四九条の二、三項に違反する点は存しない。論旨は理由がない。

三、佐藤弁護人の抗告趣意一のうち、反論弁解の機会を与えないとの点、同二および同三について

所論は、原裁判所は、被請求人から本件請求に対する反論反証の機会を奪つたまま原決定をしたから、公平な裁判所といえず、右措置は憲法三七条一項に違反する、というのである。

しかし、原裁判所において、前記のとおり、あらかじめ本件請求書謄本を被請求人に送達したほか、防禦のできる余裕を置いて口頭弁論期日が開かれ、同期日に本件請求書の朗読、被告人の本件請求事件に対する陳述、証拠調べ、被請求人の供述、検察官保護観察官の各意見、被請求人の最終陳述など適法な手続が履践され、特に、被請求人の供述の最後に、被請求人が原裁判所から「この取消請求について他に何か言いたいことはないか」と問われ、「別にありません」と答えていること、弁護人の選任の機会が与えられていることが認められるから、被請求人に反証反論の機会が与えられていないとは認められず、原裁判所が公平な裁判所でないと疑うべき形跡も全くないのであつて、原裁判所の手続に憲法三七条一項に反する点は存しない。論旨は理由がない。

四、宇都宮弁護人の抗告趣意二および同三、(二)について

所論は、原決定は、被請求人が昭和五五年四月二四日、横浜地方裁判所で、傷害罪により懲役四月に処せられたことをも執行猶予言渡取消の理由に掲げているけれども、被請求人の控訴の申立によりいまだ未確定である右判決の事件を善行保持違反とするのは不当である、というのである。

しかし、罪を犯すことは、執行猶予者保護観察法五条一号の善行保持の遵守事項に違反する顕著な事例であるところ、刑の執行猶予言渡取消請求を受けた裁判所は、右遵守事項違反として、犯罪行為の存否を認定する場合、必ずしも右犯罪について直接公訴の提起を受けた裁判所の裁判による認定と、その裁判の確定を待たねばならないものではなく、他の善行不保持の事実の認定と同様に、独自の権限と責任において、その事由の存否の認定ができるのは、当然である。原決定は、被請求人の善行不保持の一要素として所論の犯罪行為を指摘し、その犯罪のあつた有力な証拠方法として所論一審判決を掲げているものと理解できるから、原決定に所論の誤りはない。論旨は理由がない。

五、宇都宮弁護人の抗告趣意三、(一)および(四)について

所論は、原決定は、被請求人に具体的にどのような遵守事項違反があつたか、どのような事実で情状が重いかを理由中に示していないから、理由不備の違法がある、というのである。

しかし、原決定は、被請求人に対し、刑の執行猶予言渡を取り消すべき事由と、その法律上の根拠を示し、主文のよつて生ずる理由を備えているから、理由不備の違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

以上のとおり、本件即時抗告の申立は、理由がないから、刑訴法四二六条一項後段により、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 綿引紳郎 石田恒良 杉山英巳)

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